手間ひまかけた製法、背景、想い。おいしいものにはワケがあります。全国各地の、熱い想いとこだわりを持った食のつくり手。その魅力たっぷりの”オモシロビト”を久世福e商店街の「商店会長」と弟子の「福松」が紹介していきます。
■株式会社 波座物産
気仙沼塩辛を独自の長期熟成製法により仕上げた「昔ながらの濃厚熟成塩辛」をはじめ、気仙沼の風土でしか作れない味にこだわっています。
波の座と書いて「なぐら」。暖流と寒流とが重なる、潮の境目をさす言葉です。潮が重なるその場所には多くの魚が集まり、まさに、海の“宝の山”。そんな縁起の良い言葉を、社名としています。
会長、会長、かいちょおおー、いますかあーーー?
そんな大きな声出して、どうしたんですか!もしかして、何か事件‥!?
違いますよ(笑) いい出会いがあったんで、会長に聞いてもらいたくて走ってきました。
どこのどちら様?
気仙沼の波座物産の朝田さんって人なんですけどね。
気仙沼って震災で大変だったとこですよね。
そうなんですよ。それがね、とても頑張ってるんですよ。
(朝田さん)
— 3.11の時は新潟にいたんです。商談がいい具合に終わって、さあ新幹線で帰ろうというときに揺れが来て。東京には帰れなくて、その晩も長野で地震があってまた揺れて、一睡もできませんでしたね。結局、新潟―福岡―東京というルートで飛行機を乗り継いで戻りました。
それからが大変で、工場とも連絡が取れず、ニュースにかじりついていたらあの辺りは火災が多くて。翌日の新聞に載った写真にうちの看板が写っていたんですが、でもやっぱり工場はダメでした・・・。幸い従業員はみんな無事で、いったん解雇せざるを得なかったんですが、また絶対一緒に仕事をしようと伝えたんです。
あの時は、どこもかしこも大変でしたよね。
でも朝田さんの工場はそこから復活できたんでしょ?
そうなんですよ。ここからがいい話で。
(朝田さん)
— 気仙沼に工場を再建できたのは、地元の仲間がみんな「もう一度工場を作ったほうがいいよ」と言ってくれたことが大きかったんです。
みんな気仙沼を愛していて、気仙沼のために、という想いの強い連中で、僕にいろんな情報をくれました。そのおかげで何とかなるかな、従業員の生活や雇用を生み出したいという想いも強くなって、なんとか頑張れましたよ。
ちなみに、朝田さんのところのイチオシって何でしたっけ?
特に塩辛が絶品ですよ!それもね、気仙沼でしかできないそうで…
(朝田さん)
— 何より、メインの塩辛は、気仙沼でないと作れないということが分かったんです。
塩辛は樽熟成で1か月以上寝かせる発酵食品で、うちは函館にも工場があるんですが、函館に移すのはダメでした。やっぱり風土があるんですね、函館は気候が良すぎたんです。そして、「最後は人の手でないとコントロールできない」ってわかりました。職人技の勘所の部分が大きくて、やっぱり塩辛は気仙沼に戻そうと決めました。
土地を探してその年の終わりには場所が決まり、翌年には新工場を稼働させました。それができたのも、やっぱり地元の仲間のくれた情報や応援があったからなんですよね。
朝田さんって、気仙沼育ちなの?
いや、違うみたいですよ。生まれは気仙沼だけど、ずっと東京だそうです。
それなのになんでまた!何かきっかけがあったのかしらね?
(朝田さん)
— 両親が気仙沼出で、僕が生まれたのも気仙沼。育ったのは東京ですが、夏休みになるとおじいちゃんおばあちゃんのいる気仙沼に帰ってた。子供のころの記憶は、やっぱり「海」。気仙沼には、大谷海岸という、日本一海水浴場に近い駅がありました。だけど大きくなってからは、ちょっと気仙沼との距離ができちゃったんですよね。
波座は朝田さんのお父さんが興した会社で、創業から50年の老舗なんだそうです。朝田さんは他の会社で仕事をしてから親父さんの会社に入ったそうですが、気仙沼工場の立て直しと言われて、最初は気が重かったって言ってましたよ。
まあ、東京と比べれば田舎だからね。
でも、気仙沼には面白い人がいっぱいいるみたいですよ!
(朝田さん)
— でも、一人二人と同世代の若い仲間と知り合って、やつらが地元のためにいろんなことをやっているのを知っていくうちに、だんだん気仙沼が好きになっていったんですよね。
東京って、地元っていう感覚がないんです。だから、友達がお盆や正月に実家に帰る、あの感じがわからなくて、ずっとうらやましいと思ってました。
通ってるとだんだんと気仙沼が自分の田舎みたいになって、仲間に会えるのが楽しみになっていって。今では気仙沼が“僕の地元”です。
ちょっとわかる感じしますよ。Uターンで田舎に帰っても、最初は浦島太郎みたいに「何が何だか…」になるって言いますしね。最初に出会う人が大事なんじゃないですかね。
気仙沼って、そんなに面白い人が多いのかしら?
(朝田さん)
— 気仙沼には面白い人がたくさんいますよ。三陸新報の三浦一樹さんなんて、まさに!です。この人がいたから、今の私がある。そのくらい感謝しています。他にも居酒屋「ぴんぽん」、喫茶店「ヴァンガード」に行くと、いろんな人に出会えると思いますよ。
*三陸新報:宮城県北東部の気仙沼市と本吉郡をエリアとする地方新聞。
*ぴんぽん:気仙沼の穴場居酒屋と言えばここ。海の幸が美味、地元人のぴんぽんラブは特筆に値する。
*ヴァンガード:昔ながらのジャズ喫茶。気仙沼の重鎮が集まるという。
なんだか、私もぴんぽんってところに行ってみたくなっちゃった。
俺はヴァンガードに行ってジャジーな雰囲気を楽しみたいなあ。
あ!そういえば、今気仙沼は朝ドラで騒然としてるらしいですよ。
朝ドラってあの某テレビ局の?それがどうかしたの?
来年放送の朝ドラの舞台が、気仙沼なんだそうです。
それはすごいっ!きっと観光客も増えるだろうね。
そうですね、そのときにはコロナも収まっていれば良いですけど…
そういえば、コロナ禍で海外からの研修生が来られなくなったから、つくり手が足りないって大変そうでしたよ。
職に困ってる人がそっちに手伝いに行けるといいね。
そうそう。朝田さん、最後にこんなこと言ってました。
(朝田さん)
— 出来上がった商品って、作られた「もの」じゃないですか。でもその裏につくり手の、たくさんの手間ひま、工程がある。それを見せて、わかってもらって販売したい、という想いが僕の原動力。今はリモートで、そこに行かなくても何でもできるけど、それだけでは何かが足りない。最後の一言は言えないし、伝わらない。やっぱり顔を合わせて、目を見て会話する、それが大事だなと、今の時代に特に思います。開発にしても原料にしても、全部現地に行くようにしていて、それは隅々まで知りたい、と思うから。それを伝えたいから。
気仙沼は水産加工の町。例えば北海道は「素材そのまま発信」なんだけど、気仙沼の場合はひと手間かけて加工する。ふかひれが有名なんですよね。塩辛も、2,3週間かけて加工していく技術があって、そのレベルが高くて、中身を知るほどに、いろんな技術が詰まっているんだなあ、と思います。
波座(なぐら)ってのも珍しい名前だけど、なんで物産なのか、塩辛は水産じゃないのかな?って思ってたんですよ。これを聞いてストンと腑に落ちました。
(朝田さん)
— 波座は物産。あえて水産と名乗っていません。メイン商品の塩辛を大事につくりながら、この地のいいものを集めて発信していきたい。だから水産、ではなくて物産
朝田さんは気仙沼生まれだけど”育ち”じゃないから、仕事で気仙沼に縁ができたとき、ちょっと困ったんでしょうね。知ってるようで知らない町というか。
最初の出会いが肝心なんだね。そこから芋づる式に「面白い人」たちとつながった。気仙沼には、よそ者でも受け入れる懐の深さがあるんじゃないかな。
やっぱり地元愛と友情ですよ!震災から立ち直れたのも、仲間のおかげって何度も言ってましたから。
—震災で失ったものから今が生まれた。
コロナで失ったものもあるけれど、
また何かが生まれる。
かっこいいっすよね、朝田さん。
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株式会社 波座物産
■創業:昭和45年(西暦1970年)
■主な販売品:塩辛などの魚介類加工食品